大田原市長インタビュー 津久井 富雄 市長

新しい地域産業創出

数多くの歴史文化的遺産に加え、近年は医療のまちとしても知られる大田原市。高い工業、農業生産力も有している。こうした分野の連携を図りながら、子どもたちに夢を伝えるために、新しい地域産業、地域文化の創出に向けて努力する。

古くから県北の中核都市として繁栄
■市の概要を教えていただけますか。
津久井富雄市長

津久井富雄市長

 昔から県北の中核都市として繁栄してきました。高速交通網から少し離れているので原風景が残っていますが、一方で高度経済成長期には、野崎地区に世界の最先端企業が進出してきました。工業の産出高が県内3位、農産物の産出高は2位で、産業力は高い市だと思っています。住民の人間性は落ち着いていて、災害も少ない地域です。

歴史的遺産が豊富医療面も充実
■自慢できることはどんなところですか。

 歴史遺産としては、日本三古碑の中でも最も古いといわれる国宝の那なすのくにの須国造みやつこのひ碑、源平屋島の合戦で扇を射抜いた那須与一公、江戸時代には松尾芭蕉が「おくのほそ道」紀行の途中で黒羽に最も長く逗留しています。近年は首都圏農業として、トマト、ナス、アスパラ、ニラなどのほか、畜産関係では大田原産牛が有名です。観光資源としては溯上日本一の那珂川のアユです。毎年夏場には、たくさんの釣り人でにぎわいます。与一まつりや湯津上の天狗王国夏まつり、佐久山納涼花火大会などイベントもたくさんの人を集めます。雲うんがん巌寺じや大だいおう雄寺じなどの古刹も有名です。また、国際医療福祉大学に医学部が開設される動きがあるほか、大田原赤十字病院が平成24年完成予定で新築移転工事が進んでいます。医療、福祉、介護の充実した「健康長寿のまち」、数多くあるゴルフ場を活用した「ゴルフのまちづくり」、文化面では那須野が原ハーモニーホールという素晴らしい施設もあります。食料の自給率が高く、安全度が高い地域でもあります。

■米どころでもありますね。

 湯津上は那珂川、箒川の沖積土地帯で米作りにぴったりの土地なのです。黒羽の両郷地区も食味日本一といわれた良質米を産出します。

■スポーツが盛んなようですね。

 金田南中学校の女子ソフトボール部が全国大会で優勝しました。黒羽高校は相撲が強く全国大会にも出場しています。両郷地区ではテニスも盛んです。また、子どもたちの学力のレベルが高いところでもあるんですよ。

再開発ビルなど中心市街地を整備
■まちづくりで力を入れているところをお話しください。
大田原市庁舎

大田原市庁舎

 旧湯津上村、旧黒羽町と合併してから5年間は、主に両地区のインフラづくりに取り組んできました。これからは大田原の中心市街地活性化を進めます。荒町通りの電線地中化を行っていて、そこに商業の再開発ビルを計画しています。野崎地区の土地区画整理事業は、駅前の整備がほぼ終わりました。今後、一番人口密度の高い西原地区のまちづくりを視野に入れた長期計画を立てたいと考えています。基礎になるのは税金なので、地域産業の振興を図ります。医農、医工、産官学連携などによって新しい商品をつくり、産業構造を活性化させる必要があります。世界のトップ企業も進出していますから、その方々とも連携して新しい産業を興していただき、あわせて雇用の創出にもつながればと考えています。

■具体的にはいかがですか。

 新しいものづくりのNPOに対して支援していきたいと思っています。NPO団体は80ほどあり、それぞれ活発に活動していますが、まだ、経済的に弱いのです。また、学校給食費の一部公費負担額を増額します。子どもたちに安心して学校生活を送ってもらい、道徳心を持った人材育成の第一歩をここから始め、地域の活性化につなげたい。通学路の歩道設置も優先課題としてやっていきたいと思っています。一層の行財政改革、事業の見直しを進め、浮いた財源を子どもたちの未来のために、また、頑張ってこられた高齢者の方々に使います。介護福祉の充実は当然ですが、人生経験が活かせる社会参加型の健康長寿都市をつくりたいと思います。

今ある資源を活用し子どもたちに夢を
■市民を元気にするためにお考えになっていることは。

 産業振興の中で夢がかなえられる職業を創出していくこと。充実した医療機関と連携した介護、福祉、保健分野での産業振興、あわせて生命産業といわれる農業に、加工や観光などの付加価値を付けた新しい産業構造を生み出すこと、さらに豊富な太陽光や水資源、バイオマスを活かした環境産業の3本柱です。自分たちの持つ資源を活用し、未来はこうあるべきだという夢を語っていくことが私たちの役割ではないでしょうか。那須与一公のように、それぞれの的を射抜くために精進する市民性を育てたいと思います。

■企業の振興策については。

 中小企業向けの振興資金や企業が立地した際の優遇制度などがありますので、さらに利用していただけるようPRに努めたいと思います。

切手でバードウォッチング

ブラックスワン
(1854年発行 オーストラリア)
 1840(天保11)年にイギリスから世界最初の切手が発行されて以来、毎年数多くの切手が各国から発行されています。
 切手の中に初めて「鳥」がデザインされたのは比較的早くて1854(嘉永6)年に当時の西オーストラリア(現在の西

ブラックスワン

オーストラリア州)から発行されたコクチョウでした。この切手は黒インク1色で印刷されていたためブラックスワンと呼ばれています。
 コクチョウは、赤い嘴と真っ黒な全身が特徴のオーストラリア固有の鳥ですが、日本にも移入されており、水戸市の千波湖には数十羽が放し飼いになっているそうです。稀に栃木県内へも飛来しているようです。


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