益子町長インタビュー 大塚 朋之 町長

文化を世界に発信

日本屈指の焼き物の里、益子町。その文化の薫り高い土地柄に魅せられて、各地からさまざまな人たちが移り住んでいる。今後の20年間のまちづくりを見据えた「益子未来計画」では、〝益子の暮らし方〟をブランドとして世界に発信しようと意気込む。

自然と文化のまち、支えるのは人の力
■町のご紹介をお願いできますか。
大塚朋之町長

大塚朋之町長

 本町の長所は自然と文化ですね。文化に関しては、もちろん益子焼があるのですが、ほかにも県内でも国指定文化財の建造物が日光、足利に次いで3番目に多いのです。こうした資産を大事にしていきたい。人については、全国各地からたくさんの人が移り住んでいますので、それぞれを組み合わせていくと、独特のまちづくりができるのではないかと思っています。自然については、雨巻山に登って一望すると、益子の自然の美しさを再認識します。

■まちづくりで力を入れているところは。

 これまで、環境と健康と文化を大切にする施策に取り組んできました。環境の分野では、例えば益子花の博覧会。減反になって空いている田を利用し、夏はヒマワリ、秋にはコスモスと大規模な花畑を展開しています。大規模なものから自治会単位や個人まで、町民みんなで美しい町をつくろうという運動です。このほか、自治会単位で紙ごみを回収して資源化する活動にも取り組んでいます。始める前に比べて相当紙ごみが減りました。ごみを燃やすための費用が減った分を、野球、サッカー、バレーボール、柔道、剣道、卓球など、子どもたちのスポーツ教室の費用に回しています。世界を目指す人材になってほしいという願いを込めています。健康の分野では、自治体間のスポーツの競争である「チャレンジデー」に参加しています。5月の最終水曜日に15分以上の運動に町民がどれだけ参加したかというものです。本町は第1回の参加でがんばって、89%と全国1位になったのです。これらを通して日々の健康づくりに結びつけてい
けばと思っています。

中心市街地を会場に注目集めた土祭
■文化的な面ではいかがですか。

 平成21年に土ひじさい祭という文化イベントを開催しました。益子には美しい焼き物通りもあるのですが、あえて中心市街地を会場にしました。使われていなかった廃屋や小屋、蔵などをギャラリーにしたり、大谷石の塀があるような空き地を使ったりしました。けっこう反響があり、雑誌やテレビにも取りあげられました。土があるから益子焼ができ、農作物ができるわけで、土に感謝するお祭りでもあります。2回目以降はもっと範囲を広げてやろうと思っています。

シンプルながら質の高い暮らしを提案
■中長期的に目指すところをお話しください。
益子町庁舎

益子町庁舎

 本町も人口減少が顕著になってきています。これからは、できることは自分たちの力でしっかりやっていく社会にしていかなければいけないと思います。今、「益子未来計画」を策定中です。向こう20年間を視野に入れ、大げさにいえば、益子の生活スタイルが、世界ブランドになるくらいの暮らし方を目指しています。仕事が重要ですので、益子ならではの仕事をつくり出したい。おしゃれなパン屋さんや古い家具をリメイクするなど、今後の可能性がある動きも出ていますので、こうした若い人たちのスモールビジネスを押し上げていく方法を考えていきたいと思っています。また、循環型の社会に向けてパートナーになるような企業と共同歩調をとっていきたいですね。そのためにはさらに魅力あるまちにならなければなりません。シンプルだけど質の高い暮らしを体感できるまちでありたいと思います。

人の交流が生み出す新しい文化
■焼き物の里としてはぴったりのイメージですね。

 益子焼のほかにも、染物屋さんがあったり、木工、ガラス、家具作り、内装のデザイナー、ウエブデザイナーなど、小さなまちなのにさまざまな職種の方が移ってきていますので、益子の文化を発信できる可能性はまだまだあると思っています。

■組み合わせによっては、また新たなものが生まれるということですね。

 土祭にはいろんな人たちが出てきてくれましたので、こういった場を提供することによって、横のつながりがいろいろできるわけです。非常に面白い芽が出始まっているという印象がありますね。

■大企業、中小企業など産業振興に対する考えはいかがでしょう。

 企業支援として、融資制度の利子補給などは、非常に取り扱いが多くなっています。産業の振興は、時代の波に乗って行くということが肝要です。それは、環境や健康・文化など町の施策とも関連します。自然と結びついた、幸せのサイクルがあるまちをつくることで、経済の活性化にも繋がると考えます。その基礎になる、土台の部分をしっかりとつくっていくことが大事だと思っています。

切手でバードウォッチング

ムナグロ(1984年発行 USA)
 ムナグロは赤道下のポリネシアなど南洋諸島と繁殖地の北極圏を往復する大型のチドリで、日本には春と秋に旅鳥として通過します。
 この切手は1984(昭和59)年に米国が発行したもので、海原を疾走する大型の

ムナグロ

双胴カヌーを先導するように、洋上を飛翔するムナグロの姿がデザインされています。
 栃木県では、田んぼで餌を探す姿しか見ることはありませんが、日本へやってくるときは、このように海原を渡ってくるのでしょう。


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