壬生町長インタビュー 小菅 一弥 町長

医療と緑に恵まれて

獨協医科大学を中心に多くの医師が開業する壬生町。古くから医学者が活躍する医療のまちだった。一方で充実した公園が潤いと健康づくりを支える。高速道路、一般道利用者が交流できるユニークな「みぶハイウェーパーク」は活性化の大きな力となっている。

城下町、宿場町として古い歴史を誇る
■壬生町の概要を教えてください。
小菅一弥町長
小菅一弥町長

 宇都宮市、栃木市、下野市、小山市など大きな市に接し、古墳が多い歴史あるまちです。戦国時代には壬生氏によって壬生城が築かれ、その城下町、日光街道の宿場町として、また町の中央を南北に流れる黒川を利用した河川交通の要衝として栄えました。昭和30年代からおもちゃ団地や獨協医科大学の誘致を進め、工業のまち、医療のまちとなりました。東武宇都宮線の4つの駅のほか、北関東自動車道壬生ICが整備され、東北自動車道との連結で広域的交通の利便性が高くなりました。特産はイチゴ・トマト・ニラ等で、主として首都圏近郊に出荷されています。また、本町は野洲かんぴょう発祥の地として、江戸時代からかんぴょうの栽培が行われており、来年はかんぴょう伝来300年を迎えます。

住民の8割以上が「住みよい」
■町で特に自慢したいものを選ぶとすればなんでしょうか。

 まず医療に恵まれたまちということです。昭和48年に獨協医科大学を誘致し、町内にも同大学出身者など多くの医師が開業しています。1万人あたりの医師数では全国の市区町村の中で3番目。町民に大きな安心感を与えています。次に「緑園都市・みぶ」ということ。壬生総合公園をはじめとして、東雲公園や城址公園など施設の充実した公園が整備され、町民の生活に潤いを与え、観光スポットとしても、まちを活性化させる役割を果たしています。特に先に開催された全国都市緑化とちぎフェアの成果として、50ヘクタール以上の公園の地域ができました。
 最近の住民満足度調査では、83.4%もの方々に「住みよい」と答えていただいています。
 壬生町は人材にも恵まれています。歴史的には慈覚大師円仁をはじめ、かんぴょうの普及などで知られる鳥居忠英。「解体正図」の作成や下野国で初めて天然痘の予防接種をした蘭方医の齋藤玄昌、「太田胃散」の製薬者である太田信義など医学関係の偉人も多くいます。現代でいえば、スタジオジブリで映画化された「耳をすませば」や「猫の恩返し」の原作者の柊あおいさん。平成19年度に町内産野菜全般を「みぶの妖精」と名づけ商標登録した際、柊さんにイメージキャラクター「ミーナちゃん」を作製していただきました。サッカーワールドカップ南アフリカ大会の国際審判員の相樂亨さん、実力派アーチストの斉藤和義さん、若者の間で絶大な人気を誇るAKB48の大島優子さんもわが町出身です。

活性化の拠点ハイウェーパーク
■そのほかにはいかがですか。
壬生町庁舎
壬生町庁舎

 平成21年秋にオープンした大規模公園「みぶハイウェーパーク」が大変人気を呼んでいます。北関東自動車道のパーキングエリアですが、隣接する「とちぎわんぱく公園」「壬生総合公園」と徒歩で相互に往来でき、わがまちを代表する観光施設「おもちゃ博物館」などの施設も利用できます。みぶハイウェーパークでは地元物産や地場産野菜などを販売・情報発信し、パーク内にある「みらい館」は、人と人とが行き交う観光交流促進施設です。

発展の鍵を握る「産業団地」
■これからのまちづくりで特に力を入れていることをお話しください。

 県の「みぶ羽生田産業団地」が整備され、企業誘致の段階に入っています。県は約2800人の雇用と試算していますので、家族も含めると1万人近い人口移動が見込めます。この人たちにいかに定住していただくかが、課題でもありチャンスでもあります。
 今後は協働がキーワードになります。地域・住民ができること、行政がやるべきことを色分けし、役割分担をしてまちをつくりあげることが大切です。団塊の世代の皆さんの間では、地域のために何かしたいという機運が高まっており、手を携えて取り組んでいければと思います。また、約30年前、「壬生町民の歌」が作られましたが、ほとんど知られず埋もれていました。歌詞が今の町の様子にぴったりなのです。これを復刻し、未来へと引き継いでいくことで、「壬生を愛する思い」を伝えていけないかと考えています。

■中小企業と大企業に対する施策をお話ください。

 大企業は何よりもスピーディーな対応を求めていますので、その対応策をまとめているところです。この中には固定資産税の減免や雇用に対する費用負担などのバックアップ策が盛り込まれています。中小企業については、町として、再度各企業の状況を調査し、融資制度など現在の支援策が本当に魅力あるものなのか再確認しながら、町で仕事ができてよかったといっていただけるようにしたいと思っています。

ふるさと散歩

【ゆかりの人】鳥居忠英
 近江国水口城二万石(滋賀県)の城主だった鳥居忠英は、1712(正徳2)年、一万石を加増されて下野国壬生藩主三万石となった。この時、「壬生町明細帳」が作られ、城下町壬生の繁栄の様子が記されている。
 忠英は領内の殖産興業を進めるために、近江からかんぴょうを取り寄せて栽培を始めた。これがこの地域がかんぴょ

壬生町の精忠神社に建立されている「干瓢発祥 二百五十年記念碑」

壬生町の精忠神社に建立されている「干瓢発祥 二百五十年記念碑」

うの特産地となる初めの一歩だった。ほかにも忠英は藩校である「学習館」を開くなど、壬生藩の基礎をつくった。
 2012(平成24)年はかんぴょう伝来300年の節目の年。壬生町の精忠神社には50年前に建立された「干瓢発祥 二百五十年記念碑」がある。


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