茂木町長インタビュー 古口 達也 町長

「原風景」を大切に

典型的な中山間地といえる茂木町。ふんだんにある自然を活かして、地味ながら創意を凝らしたまちづくりが進む。そこにあるのはまぎれもなく日本の故郷の「原風景」。おいしい食べ物、素朴な人情にひかれてたくさんの観光客も訪れる。

過疎に悩みつつも240万人の交流人口
■町の概要を教えていただけますか。
古口達也町長

古口達也町長

 茨城県と接する南北に面積が広い町で、典型的な中山間地域といえます。人口減少がとまらない過疎地域です。その中でも、大型モータースポーツ施設「ツインリンクもてぎ」や道の駅「もてぎ」があり、年間約240万人の交流人口があります。たくさんの人たちが訪れてくれる背景には、日本の故郷のような原風景が残り、食の文化があること、人の心が穏やかであることなどが挙げられると思います。

ごみから生まれるすばらしい堆肥
■誇りになることを挙げていただくとすると。

 まず、土づくりセンター「美土里館」です。酪農家から排出される牛の糞尿、町内1600世帯から出る生ごみ、間伐材のおが粉、もみ殻、落ち葉、竹を粉砕したものを混ぜて堆肥を作るのですが、すばらしい土ができます。薬品を使わず、微生物の力で処理する仕組みで、日本でも有数の成功事例といわれています。最盛期には生産が間に合わないほど。何より町民の環境に対する意識が高まりました。また、落ち葉をさらうので山がきれいになり、竹の繁茂も防ぐことができます。道の駅「もてぎ」で販売されている野菜の9割以上はこの堆肥を使っています。いい土からはいい野菜ができます。

活性化の拠点「道の駅」木の校舎も誇り
■そのほかはいかがですか。
茂木町庁舎

茂木町庁舎

 道の駅「もてぎ」は、栃木県内第3位の年間売り上げを記録しています。関東の道の駅の中の「あなたの好きな道の駅」の4位にもランクされました。日本で唯一SLが走る道の駅であることや、そばがおいしいことなどで好評をいただいています。作物を作る基本は「美土里館」、それを販売するのが「道の駅もてぎ」です。また、ここで取り扱う商品の75%くらいは町内の商業者から購入しており、地域経済にも大きな貢献をしています。今後は防災の拠点、情報の発信拠点としての役割も果たしていくと思います。
 もう1つ自慢したいのが「茂木中学校校舎」です。逆川地区が村だった時代に、財政を確保するためスギ、ヒノキを植林しました。住民総出でこれを手入れし、地域に大きな恩恵をもたらしましたが、木材不況で近年は利用されないままでした。平成になって町に移管されましたが、60年、70年の立派な木がたくさんあるのです。これを中学校の建て替えに使えないかと考え、国、県にも協力をいただき、平成20年に完成させることができました。7割以上は地元産出の木材で、塗装も自然塗料を使っています。木の校舎はどんなに晴天の日が続いても湿度が40%以下に落ちず、雨の日が続いても60%以上に上がりません。木が生きているのです。

創意工夫を凝らして地域おこし盛ん
■まちづくりの面はいかがですか。

 各地で地域おこしが盛んです。「ゆずの里」「梅の里」「かぐや姫の里」「棚田の里」「そばの里」など、町内16カ所で展開されています。これらはきちんとビジネスとして成り立たないと持続しません。茂木でなければ味わえない、安全安心な食材、安らぎの空間、おもてなしの心などを提供して、きちんと対価をいただく。そしてその中からいくらかを地域に還元してもらう。いわゆるコミュニティビジネスです。これを地域の自立、活性化につなげていきたいと思っています。
 全国的にみると、本町のような中山間地域の人口は13%です。この人たちが日本の国土の7割近くを守り、食料生産額の38%を担っています。都市には都市の価値があるように、中山間地域にも価値があることをきちんと認めてほしいと思います。本町では、中学校3年生まで医療費の無料化をし、子宮頸がんワクチンも町の補助で行いますが、少なくとも医療、福祉、教育は、自治体の財政力に関係なく、全国同一のサービスが受けられるべきです。また、職員がどれだけ強い思いを持っているかもまちづくりには重要です。「美土里館」や茂木中学校の校舎も、職員のがんばりがなくては町民の理解を得ることはできなかったと思っています。

■企業への支援策はどうお考えでしょうか。

 雇用の場の確保には努力していきます。まず、今ある企業にきちんと対応することです。もちろん、他から企業を誘致することも大切ですから、企業誘致班を立ち上げて動いています。また、町自らが雇用の場を創出していくことが必要かとも思います。
 道の駅「もてぎ」は町の90%出資の第3セクターですが、ここにパートを含めて60人の雇用があります。足元を見つめて、あるものをうまく利用して新たな雇用の場を立ち上げたいと思っています。

ふるさと散歩

【伝説】鏡が池
  茂木城は茂木氏の祖、茂木知基が1192(建久3)年に築城し、約400年間、茂木氏の居城となった。別名は桔梗城。自然の地形をうまく利用したつくりで、城からは茂木の市街地が一望できる。現在は城山公園として整備され、町民の憩いの場になっているが、この一角にあるのが悲しい話を伝える鏡が池だ。

悲しい言い伝えが残る城山公園の「鏡が池」

悲しい言い伝えが残る城山公園の
「鏡が池」

 ある時、城主に美しい姫君が誕生した。ところがその姫が病にかかってあざが残ってしまう。哀れに思った殿様は、城内の鏡をすべて処分させた。しかし姫は池の水面に映った自分の顔を見て驚き、悲嘆のあまり池に身を投げてしまった。以来、人々はこの池を鏡が池と呼ぶようになったという。


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